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青木さんの死を悼む
森議員の「人生の師」 三鷹市の葬儀に参列
 《2002年(平成14年)5月13日》

 森議員は5月13日朝、東京都三鷹市におもむき、青木良昭さんの葬儀に先立って霊に弔意を表しました。青木さんは森議員が「人生の師」と仰いでいた人で、12年余の闘病生活の末、71歳で鬼籍に入りました。日興證券役員、系列の東京証券社長を歴任、昭和60年代後半の高度経済成長期を“モーレツ証券マン”として駆け抜けました。
 森議員との出会いは昭和23年夏、議員が浜小学校5年生だった時にさかのぼります。早大ラグビー部がOBの父茂喜氏の招きで根上町に合宿に来ました。その時に1年生の新入部員だったのが青木さんでした。
 青木さんは毎日、先輩部員から厳しい叱責を一人で浴び、傍目で見ていた当時の森少年が「何であの人だけがやられるんだ。いじめじゃないか」と感じるほどでした。義憤を覚えた森少年がマネージャーにそのことをただすと、「彼は新人の中で最高の技術と素質を持っている。この合宿で彼を鍛え、将来のエースにしたい」との監督の方針を打ち明けてくれたそうです。
 実際に青木さんはその後、名ウイングとして戦後初めて早大ラグビー部を全国制覇に導き、国体の記念切手にも登場するほどの選手になりました。森少年は子供ごころに青木さんにあこがれ、これが森少年をラグビーに駆り立てる原体験となったのです。
 森議員が社会人になった記者時代から青木さんとの交友は続き、初当選以来ずっと森議員を支援してくれました。森議員は「今の私があるのも青木さんのおかげ。半世紀にわたりエネルギーを注入してくれた先輩で思い出は尽きない」と青木さんとの交誼に目頭を熱くしていました。
 森議員はこれからも青木さんを「師」と仰ぎ続けると言い、自らに言い聞かすようにこう語りました。「オヤジさんの名に恥じない行き方をしろ、青木さんのいつもの口癖が今も聞こえてくるようだ」。



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